はじめに
この資料の目的
本資料は、高齢犬が急に食事を食べなくなったときに、飼い主さんが原因を見つけやすく、適切に対応できるように作りました。身体の不調だけでなく、心や環境の変化まで幅広く扱います。専門的な検査や治療が必要な場合は獣医師に相談することを前提に、家庭でできる観察と初期対応を分かりやすく解説します。
対象となる方
・高齢の犬を飼っている方
・介護や日常ケアをしている家族やスタッフ
・動物看護に関心がある方
本資料の構成と使い方
全10章で、原因の分類ごとに詳しく説明します。章ごとに「見つけ方」「具体的な対処」「受診の目安」を示します。まずは第2章以降で具体的な原因を確認し、気になる症状があれば「受診の目安」を参考にしてください。記録を取ること(食事の量・時間・嘔吐の有無など)が早期発見に役立ちます。
注意事項
急激な体重減少、血が混じった嘔吐や下痢、呼吸が浅い・ぐったりしているなどの症状が出た場合は、すぐに獣医師に連絡してください。自己判断で薬や人用の食べ物を与えると危険なことがあります。日常の観察を丁寧に行い、変化を見逃さないことが大切です。
歯や口腔内のトラブル
症状の見分け方
高齢犬が急にご飯を食べなくなったとき、まず口の様子を観察しましょう。水は飲めるのに固いものを嫌がる、食べ物を口に入れてもすぐに落とす、片側だけで噛む仕草をする場合は口の痛みが疑われます。口を気にして前足でこする、顔を傾けることもあります。
なぜ食べられなくなるのか
歯がぐらぐらしていると噛むときに痛みが走ります。歯周病が進むと歯ぐきが腫れて敏感になり、感染で膿がたまるとさらに痛くなります。歯の欠けや口内のしこり、潰瘍(ただれ)も原因になります。これらは食事を避ける大きな理由です。
よくあるサイン
歯石や黄ばんだ歯、赤く腫れた歯ぐき、強い口臭、よだれの増加、口の中から出血が見える、顔が腫れる(顔面の片側が膨らむ)などが見られます。食後に気になる匂いや、歯に触れたときの嫌がり方も手がかりになります。
受診の目安と治療の流れ
痛みが強い、出血や顔の腫れ、飲水もできない場合は早めに受診してください。獣医は口腔内の詳しい診察やレントゲンで原因を調べます。治療は歯石除去や抜歯、抗生物質や痛み止めの投薬が中心です。抜歯後は軟らかい食事に切り替えると食べやすくなります。
日常でできるケア
毎日の歯みがきが一番効果的です。苦手な場合は指やガーゼで優しく拭くだけでも違います。硬いおやつを控え、柔らかめの食事に替えて様子を見ましょう。定期検診で早めに問題を見つけると負担を減らせます。
内臓疾患と代謝異常
概要
腎臓病、肝機能の低下、糖尿病などは高齢犬の食欲不振でよく見られる原因です。内臓の働きが乱れると水分摂取や消化・代謝に影響し、食後の不快感や消化不良が起きやすくなります。がんやホルモンの変化も食欲を落とします。
主な疾患と分かりやすい症状
- 腎臓病:喉が渇く、水をたくさん飲む・尿の量が増える、嘔吐、体重減少
- 肝臓疾患:黄疸(目や歯ぐきが黄色くなる)、元気低下、吐き気、便の色の変化
- 糖尿病:飲水・排尿の増加、体重減少、初期は食欲増進することもあるが進行で低下
- がん・代謝異常:痛みや慢性的なだるさで食べなくなる
食欲不振が起きる仕組み
内臓の機能低下で血中の老廃物や毒素が増え、消化管の動きが遅くなります。これが吐き気や満腹感を招き、食べたくなくなります。脱水や電解質バランスの乱れも食欲に影響します。
飼い主が見るべきポイント
飲水量・排尿の変化、嘔吐や下痢の有無、便や尿の色、体重の変化、動きや表情の変化を日々観察してください。短期間で症状が進むことがあるので注意が必要です。
病院で行う検査と対応
血液検査、尿検査、超音波やレントゲンで内臓の状態を調べます。脱水があれば点滴、原因に応じた薬や専用療法食を用います。早めに受診すると負担を減らせます。
身体機能の低下と運動障害
概要
加齢により関節の痛みや筋力の衰え、首や体の動きの制限が起こります。特に後ろ足の力が落ちると立ったり歩いたりするのが大変になり、食事の姿勢や移動が難しくなります。これが原因で食事を嫌がり、水だけを飲むようになることがあります。
主な症状
- 立ち上がりや歩行が遅くなる、よろめく
- 食器に顔を近づけにくい、頭を下げるのを嫌がる
- 片側の脚をかばう、段差が登れない
- 同じ姿勢で長くいられない、疲れやすい
食事への影響
関節や筋力の問題で頭や体を自由に動かせないと、食べ物を取ったり噛んだりする動作が負担になります。たとえば、高さの合わない器だと首を深く曲げなければならず痛みで避けることがあります。その結果、水だけを飲む行動が見られることがあります。
対応とケアのポイント
- 食器を高めや角度つきにして首の負担を減らす
- 床が滑らないようにマットを敷き、皿への移動を楽にする
- 柔らかい、温めた食事を少量ずつ与える
- 食事中は手でサポートしたり、楽な姿勢で食べられるよう工夫する
- 段差をなくし、移動距離を短くする
- 軽い運動やマッサージで筋力維持を促す(獣医や専門家の指導を受ける)
- 長引く場合や痛みが疑われる場合は獣医に相談し、痛み止めやリハビリを検討する
これらの配慮で食事の負担を減らし、食欲回復につなげることができます。
咀嚼・嚥下機能の低下
概要
高齢の犬は噛む力や飲み込む力が弱くなります。歯が抜けたり歯周病で痛みが出たり、あごの筋肉や神経が弱ることが原因です。硬いドライフードや固形のおやつを食べにくくなり、食事への抵抗感が強くなります。
主な症状
- 食べ物をこぼす・噛まずに落とす
- 食事に時間がかかる、途中でやめる
- 咳やむせる、よだれが増える
- 体重が減る・食欲はあるのに食べられない
原因と影響
歯の痛みや欠損で噛めないと、硬いものを避けます。あごや喉の筋力低下で飲み込みが不十分になると、誤って気管に入ることがあります。これが続くと栄養不足や誤嚥性肺炎につながることがあります。
家庭でできる対応例
- ドライフードは湯やぬるま湯でふやかす。缶詰やペースト状のフードに替える。
- 小さく刻む、ミートボール状にして与える。
- 食事回数を増やし、一回量を減らす。
- 食器を高めにして首の負担を軽くする。
- 手で与えると安心して食べる子もいます。
専門的な対応と受診の目安
歯の痛みや口内の異常が疑われる時は歯科処置が必要です。むせが続く、咳や発熱、鼻水が出る場合は誤嚥や肺炎の可能性があるため早めに獣医師を受診してください。リハビリや嚥下訓練を行う動物専門の理学療法士がいる施設もあります。
注意点
無理に固いものを与えないでください。食べる様子を観察し、変化があればメモして獣医師に伝えると診断が早くなります。
感覚機能の低下
味覚・嗅覚の変化
高齢犬は味やにおいを感じにくくなります。これらの感覚が弱まると、食事への興味が薄れやすく、普段と同じごはんでも食べにくくなります。具体的には香りの強いものに反応しにくくなったり、味の違いを識別しにくくなったりします。
日常で気づくサイン
- ごはんのそばにいても食べない
- 好きだったおやつに反応しない
- 匂いを嗅いでもすぐ立ち去る
主な原因
加齢による感覚細胞の減少、慢性の鼻や口の病気、薬の副作用などが考えられます。口内の乾燥や歯の痛みも嗅覚や味覚に影響します。
食欲を引き出す工夫
- 温めて香りを立たせる(熱すぎないよう注意)
- 低ナトリウムの鶏ガラスープを少量かける
- 食感を変えてみる(ふやかす、刻む、柔らかくする)
- 小分けにして回数を増やす
- 新しい嗜好の食材を少量ずつ試す
これらは原因に合わせて試してください。
注意点・受診の目安
においや味の低下が急に起きた、食べられない時間が長く続く、体重が落ちる場合は獣医師に相談してください。診察で原因を見つけて適切な対処ができます。
環境とストレスの影響
概要
高齢犬は環境の変化に敏感で、新しいペットの導入や引越し、生活リズムの変更、家族の増減、さらに視力や聴力の低下による不安からストレスを感じます。ストレスは食欲低下につながりやすいです。
よくある原因
- 新しい犬や猫の到来で居場所が脅かされる
- 引越しで慣れた匂いや場所を失う
- 家族の入院・出張などで日常が変わる
- 視力・聴力の衰えで不安になり、周囲に敏感になる
食欲への影響
ストレスで食事に興味を示さなくなったり、食べる量が減ったりします。外で隠れてしまったり、食べ方が落ち着かず早食いや吐き戻しが増えることもあります。
家庭でできる対策
- ルーティンを守る:食事・散歩の時間をできるだけ一定にする
- 徐々に慣らす:新しいペットは別室で慣らし、短時間の面会から始める
- 慣れた匂いを使う:毛布やタオルを新居に置き、安心感を与える
- 安全な居場所を作る:静かで落ち着けるスペースを確保する
- 食事の工夫:温める、回数を増やす、小さくするなど柔軟に対応する
- 観察と記録:食欲・体重・排便を記録し、変化が続く場合は獣医に相談する
新しい環境へ移る時の注意点
短期間で大きく変えず、愛犬のペースに合わせて段階的に進めます。ご家族が協力して安心感を作ることが何より大切です。
食の好みの変化
なぜ好みが変わるのか
高齢犬は味覚や嗅覚、歯やあごの問題、内臓の変化、服薬の影響、認知機能の変化などで好みが変わります。たとえばにおいを感じにくくなると、香りの強いフードを好むことが多くなります。歯や口が痛むと硬いものを避け、やわらかい物だけを選ぶ傾向があります。
具体的な変化の例
- いつものドライフードを残し、おやつだけ食べる
- ウェットフードや温めた食事に反応する
- 特定のタンパク源(魚や鶏肉など)を避ける
- 一度好んだものを急に嫌う
家庭でできる工夫
- 温めて香りを出す:少し温めると嗅覚に訴え、食欲が上がることがあります。
- 食感を変える:ふやかしたり刻んだりして食べやすくします。
- 少量ずつ頻回に:一度に多く出さず、こまめに与えると食べやすくなります。
- トッピングやだしで変化をつける:低塩のだしや無添加の鶏スープを少量足すと好むことがあります。ただし塩分に注意してください。
- おやつで満たさない:おやつだけで満腹になると主食を食べなくなります。与えすぎに気をつけます。
観察と受診の目安
体重が減る、元気がなくなる、飲水が増える、異常なよだれや吐き気がある場合は受診してください。フードの好みの急変は、歯や内臓の病気、薬の副作用が原因のことがあります。獣医師と相談して、必要なら血液検査や口腔検査を受けると安心です。
緊急対応が必要な症状
緊急を要する主な症状
- 24~48時間以上まったく食べない、12時間以上まったく水を飲まない
- ぐったりして反応が鈍い、立てない・倒れている
- 激しい嘔吐や下痢、血便・血尿
- 突然の急激な体重減少や脱水の兆候(目がくぼむ、歯ぐきが乾く、皮膚をつまんで戻りが遅い)
- 呼吸が浅い・非常に速い・苦しそうにしている
- けいれん、意識消失、止まらない出血
受診までの応急処置(できる範囲で)
- 呼吸や意識が危ない場合はすぐに動物病院へ搬送してください。時間が命に関わります。
- 脱水が疑われるときは、むやみに大量の水を与えないでください。少量ずつ口元に滴下する程度に留めます。
- 出血がある場合は清潔な布で軽く押さえて止血を試みます。
- けいれん時は周囲の危険物を除き、動物の頭や口に手を入れないでください。けいれん時間を記録します。
病院に伝えるべき情報
- 症状の発生時間、経過、食べた物や薬の有無
- 既往症や常用薬、ワクチン歴
- 吐いたものや下痢のサンプルがあれば持参すると役立ちます
搬送時の注意点
- 抱っこやキャリーで安定させ、揺れを避ける
- 体温保持のためにブランケットで包む(ただし呼吸が苦しければ顔は覆わない)
- 自己判断で人間用の薬を与えないでください
緊急症状は短時間で悪化します。少しでも当てはまる場合はためらわずに動物病院へ連れて行きましょう。
家庭でできる対処方法
環境の工夫
餌皿の高さを調整して首や背中の負担を減らします。小型動物や猫は浅い広口の皿、犬はやや高めの台を試してください。滑り止めマットや重めの皿で食器が動かないようにします。複数頭いる場合は別々に距離をとって与えると競争によるストレスが減ります。明るさや騒音も抑え、落ち着いた場所で食べさせましょう。
食事内容の工夫
香りや口当たりを良くするために、少量の温め(人肌程度)を行うと食欲が上がります。脂質源としてサーモンなどの油の多い魚をトッピングするとカロリーと風味が増します。ドライフードにはぬるま湯やだしをかけて軟らかくする、またはウェットフードを混ぜると食べやすくなります。
与え方の工夫
一度に多く与えず、小分けにして回数を増やすと消化に優しくなります。手で与える、指で小さくちぎるなどで噛む力が弱い子でも食べやすくなります。早食いする場合はスローフィーダーや障害物を置いて時間をかけさせます。
観察と記録
食べた量、吐き戻し、咳き込み、食べる時間を毎日記録してください。変化が続くときは写真や動画を取ると診察時に役立ちます。
受診の目安
食べなくなって24〜48時間続く、体重が急に減る、強い嘔吐や下痢、呼吸困難がある場合は速やかに動物病院を受診してください。